Motherteresa history

マザーテレサの歴史

Motherteresa History

最後まで読んで欲しいマザーテレサの生涯


 

●マザーテレサの誕生と出身地

マザーは、1910年(明治43年)8月26日、マケドニア〈旧ユーゴスラビア〉の故郷又は首都スコピエで生まれました。本名はゴンジャ・ボワジュでした。両親は熱心なカトリック教徒で、マザーは産まれた翌日に洗礼を受けました。

 

●インドでの活動への一歩を踏む

1928年9月26日18歳の時、アグネスはアイルランドのダブリンにあるロレート修道会がインドの各地に宣教活動をしているという話しを聞いて、最愛の母と妹に別れを告げ、故郷スコピエの家を離れて修道女になろうと決心し、パリに向かいました。数週間、パリでシスターユージント過ごし、イエスのしもべとして生涯捧げる決意をします。その後アイルランドへ渡り、ロレート修道会に入会しました。

1928年10月12日アグネスは受洗して、ロレート修道会のシスター志願者として、修道名をシスター・テレサと改名しました。その後、インドのコルカタへ活動場所を移します。

 

●最初は学校の先生だった?マザーテレサ。

1929年5月23日シスター・マリア・テレサはロレート修道会に入会しました。その後ダージリンのロレート学校で教師の仕事の訓練を受け、同時に病院の手伝いも始めました。

コルカタの東部のエンタリー地区にあるロレート会経営の高等学校聖マリア女子高等学校で、地理と歴史の教師になりその後、聖マリア女子高等学校の校長にもなりました。

 

●神様に一生を捧げる誓い

1937年5月24日終生誓願を立て、シスター・テレサはこの時から聖者のような生活に入りました。これからマザー・テレサと言う名前でよぶようになりました。

 

●神様からの天の声

1946年に宗教氾濫が起き、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒との争いでたくさんの一般の人々が殺されたのです。当年9月10日は“インスピレーションの日(決意の日)”になり、マザーの人生を大きく変えます。

ダージリンにある修道会で大事な黙想の行に入るために夜汽車に乗り、むし暑い車内で、「修道会を出て貧しい人々につかえる決意をせよ。そして貧しい人々といっしょに生活せよ。」と言う神のお召しの声を聞きました。その言葉を神様からの言葉と受け取り、マザーは行動に移すことになります。

 

●トレードマークの白のサリーが誕生する。

1948年4月8日マザー・テレサははじめて白地に青いふちどりのついたサリー(インド女性の着る衣装)の姿でロレート修道会の門を出てきました。

1948年4月12日マザーロレート修道会を離れる独自な活動の許可をローマ法王より与えられました。

 

●コルカタの現状を見て一人でスタートさせる。

1948年8月17日38歳の時ロレート修道会を出て、コルカタのスラム街に住んでいる貧しい人や孤児たちのための奉仕活動を始めることを決心しました。その後カルカッタからパトナーに向い、アメリカン医療宣教修道女会で看護のための医療の訓練を4ヶ月間受け、子供や病人のせわをすることから、一人だけの「宣教」を始めました。

モティジィールという場所にスラム街の子供たちに字を教え始めました。

 

●マザーの活動はいろいろな人を動かしていきます。

1949年2月にマザーはマイケル・ゴムス氏の協力で彼の家14番クリック・レンの3階に住むところ与えられ、貧しい人達のために、本格的な救済活動に取り掛かりました。テレサがたった一人で子供たちに勉強を教えている事を知って、同年3月19日ロレート修道会時代の教え子、ベンガリの少女スハシニ・ダース(テレサの幼名をとってシスター・アグネス)が最初のマザー・テレサの弟子として参加しました。又5月もう3名、11月5名そして1950年7名がマザーといっしょに活動をはじめたのです。同年にコルカタ大司教とローマ法王ピオ十二世から修道会の外へ出て生活をする許可を得ました。

1951年12月14日にマザーは国籍をインドに移しました。

 

●今も残るボランティア施設の歴史

1952年8月22日マザー・テレサが42歳の時、コルカタ市役所からヒンズー教の有名な寺院であるカーリー女神のお寺カ-リーガートの一角にある巡礼者たちの休憩する建物を頂き、「死を待つ人の家」ニルマル・ヒルダイを開設しました。路上またはスラムで死にかけている人々を収容して治療を始めました。

1955年45歳の時カルカッタ市内にめぐまれない子供たち又はみなし子達のため「孤児の家」を開設しました。

1959年にハンセン病の移動診療所を始めました。同年初めカルカッタから西へ約600キロ、ランチの町に修道院を開設しました。

1960年10月18日カルカッタの郊外約30キローのところチタガールにハンセン病の患者さんたちに治療を始めました。同年12月30日一カ国国で4カ所にシスター数は76人でした。

1968年マザーは56歳の時ハンセン病患者の療養施設シャンティ・ナガル「平和の町」を作りました。

 

 

●マザーが与えられた賞の数々

1962年8月11日インド政府又インドの初代大統領ラジェンドラ・プロサド氏がマザー・テレサにインド国内の栄誉「Padma Shri」という称号を与えました。

1971年1月6日にパウロ六世より、ヨハネス二十三世法王平和賞を、また、ボストンの善きサマリア人賞、そして11月にケネディー国際賞も受賞しました。

1972年11月にインドの大統領からジャワハルラル・ネール国際平和賞を受賞しました。

1973年にテンプルトン賞を受賞しました。

1975年にマザー・テレサはシュバイツアー賞を受取りました。

1979年12月10日、マザー・テレサは69歳の時、ノルウェーのオスロ大学の大講堂で開かれたノーベル平和賞の授賞式に参加し、白地に青いふち撮りのついたサリーの上にセーターといつも履いていた革ぞうりの姿でノーベル平和賞の金メダルと賞状賞金を頂きました。

1980年3月22日にマザー・テレサは、インド政府から国内最高の栄誉「Bharat Ratna-インドの宝」という称号を渡されました。同年末には世界35カ国、計178カ所にミッショナリーズ・オブ・チャリテイのセンターが設立されました。シスター数1335人でした。

1983年にローマ法王と会見中に最初の心蔵発作を起こしました。当年11月英国女王エリザベス2世から「Order of Merit」賞を受取りました。

1985年にレーガン大統領からアメリカの最高国内の栄誉「Medal of Freedom」という称号を渡されました。

1996年にマザーは86歳の時世界で4人だけしか受けたことがない、アメリカの名誉市民の称号を受けました。

 

●マザーテレサは日本にも来日していました。

1981年4月22日ファミリーライフ協会と世界宗教者平和会議日本委員会の招聘で初来日。

5月24日東京に修道院を開設。

1982年4月22日再来日。東京、宝塚、長崎、福岡、大阪を訪問しました。

 同年ブリュッセル・カトリック大学から名誉は博士号を受賞しました。

 

 

●マザーテレサの最後。

1997年3月13日体力の限界を感じて、マザーは神の愛の宣教者会の総長を引退し、後継者としてインド人のシスター・ニルマラを新総長に選びました。同年8月26日満87歳の誕生日を元気な笑顔で迎えました。9月5月の夜9時30分頃心臓発作のため87歳で亡くなられました。

 

マザーの亡くなられたことを聞いて宗教を問わず数万人の市民がマザー・ハウスに列を作って花束や花輪を持って祈りました。インド政府は異例とも言える国葬とすることを発表して、マザー・テレサに最大限の敬意を表しました。9月13日の国葬の日、聖トーマス教会に安置されていたマザーの棺は、陸軍兵によって砲車に乗せられ、カルカッタ市内を約1時間かけて国葬会場まで行進しました。砲車はインド独立の時にイギリス軍から引き渡された歴史的な砲車でありました。独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサは3人目でした。

国葬終了後、棺はインド陸軍の砲車に乗せられMissionaries of Charity〈ミッショナリーズ・オブ・チャリテイ~神の愛の宣教者会〉の本部に運ばれ、マザーの遺言どおり本部の一階に埋葬され、今でもマザーへ会いに世界中から訪れています。

​サポート先

インドを中心に旅行だけでない、体験型の現地密着の海外活動を企画し、出発、滞在中、帰国後までのサポートを行っています。

現在はインド以外に、タイ、スリランカ、アフリカなど活動の拠点を増やしております。

福室まなみの想い

マザーハウスでの活動がきっかけで、私の人生はとても豊かになりました。この活動を一人でも多くの人に経験して欲しい。その想いからサポートを開始しました。

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